関西在住、42歳、男性、ニックネーム:苦あれば楽あり
2週続けて社員が過労死。
それは私が働いていたブラック企業で実際に起こったことです。
いま思うと、次に死ぬのは私の番だったかもしれません。
私が体験した壮絶なパワハラによる日々をお話ししたいと思います。
そのブラック企業は自宅からほど近い場所にありました。
医療関係の会社で給料は多くはありませんが、景気に左右されず
年に2回あるボーナス時期にはまとまった金額を受け取れます。
年間休日は少なく盆休みは1日、年末年始は最長で5日程度。
月に6日の休暇があり、求人募集には日曜は休みとあったので面接を
受けることにしました。そして無事に採用され入社することになったのです。
入社してすぐに、おかしな社風に気づきました。
まず、定時で退社することはありえません。
たとえ業務が完了していても退社してはいけない雰囲気なのです。
もし、定時で帰ろうとするならばサボっていると思われイヤミを言われます。
残業は、ほぼサービス残業。時間外勤務として認められる時間は実際の6分の1程度でした。
残業の多い部署では月に100時間以上。私の部署は少ない方でしたが、それでも月に70時間以上の時間外勤務をしていました。
また、週2回ほど早朝出勤があったのですがもちろん手当はありません。
そして、求人募集にあった「日曜休み」。
こちらは募集内容と違い定期的に日曜出勤がありシフトに組み込まれていたので出社しました。
このような状態ですので、有給休暇などはもってのほかです。
直接、有休休暇を取ってはいけないとは言われませんが有休休暇を取りたいとは言えない状態でした。
他には、年に数回あった日曜に行われる会社行事には絶対参加。
業務以外で欠席することは許されておらず、不参加の場合は後日呼び出され上司から責められます。
ですから、ほぼ全社員が会社行事に参加していました。
ここまでの労働環境でも十分にブラック企業だと思いますが、さらに加えて私には強烈なパワハラ上司がいたのです。
厄介なことにこの上司は経営者の一族でした。
誰も上司に意見を言うことはできません。
そのうえ上司の人格には問題があり、部下の言動が気に入らなければ罵倒し怒鳴り散らすのです。
誰も逆らうことはできず絶対服従です。
当時の私は職責だったこともありターゲットとなりました。
具体的にいいますと、まずどの業界や職種でも最も大切にされている報告・連絡・相談をさせてもらえませんでした。
例えば、何か報告をしたいと思い上司のもとを訪れても「忙しいから来るな!タイミングを考えろ!!」と怒鳴られるのです。
私は話を聞いてもうために何度も上司のもとを訪れないといけませんでした。
上
司のスケジュールや機嫌も考慮しお伺いをたてるのですが、何度チャレンジしてもダメです。
朝、昼、晩、いつであろうと状況が変わることはなかったのです。
やっと話を聞いてもらえても私にはわずかな時間しか与えられませんでした。
私は正確に報告・連絡・相談することをモットーにしていましたので、口頭だけでなく社内メールでも細かく報告するようにしました。
一事が万事この調子です。
私からのコミュニケーションには対応してもらえませんが、上司にとって少しでも気に入らないことがあると上司は私のデスクまで飛んでくるのです。
そして状況や事情を私に聞くことはありません。
いきおいよくトビラを開けて、開口一番に大声で怒鳴り散らすのです。
ある時は胸ぐらを掴まれて暴言を吐き続けられたこともあります。
こうなるともう手が付けられません。上司の怒りが落ち着くまで待つ必要があります。
そのあいだ私は暴言を聞き耐え続けるのです。
ようやく私が発言する機会を与えられると、私はゆっくりと丁寧に事情を説明しました。
毎回、ほぼ100パーセントと言っていいほど上司の怒りの原因は誤解であり、しかも激怒するような内容ではないのです。
ですから上司も最終的には納得し自分の席に戻ってくれました。
異常な状況ですが、これが私にとっては日常でした。
さらにパワハラは続きます。
何よりも酷かったのは「さらし者」にされることです。
上司が私に対し何か注意や文句を言いたいときは、かならず大勢の社員がいる前で怒鳴り散らし、延々と暴言をさらし屈辱を与えつづけるのです。
私は屈辱に耐え、はやく時間が過ぎることだけを願っていました。
周りにいる社員は見て見ぬフリをし、誰も助けてくれる人はいません。
そのような日々が続く中で、私の身体に異変が起こったのです。
最初の症状はひどい咳でした。
あまりにも酷くせき込む日々が続き、ある朝、息をするのが苦しくなったのです。
私は呼吸することさえ困難になったので、急遽、会社を休み妻と病院へ向かいました。
医師の診断結果はストレスによる大人喘息。
「最近、ストレスによる大人喘息を患う人が増えているのでリラックスした時間を持つように。」医師はアドバイスと共に吸入器を処方してくれました。
私は処方された吸入器をもち、次の日から変わらず出社しました。
それからしばらくすると、会社にいるときにひどい手汗を感じるようになりました。
でもその時は、ひどい手汗がストレスによるものだとは思っていなかったのです。
私は自分が精神的に追い詰められ、身体がSOSを出しているとは考えていませんでした。
さらに日がたつと、会社に到着すると吐き気を感じるようになりました。
最初は体調不良かと思い気にとめていなかったのですが、そのうち出社したら
毎日吐くようになりました。午前中はずっとトイレで吐くので仕事になりません。
ですから私は残業し業務をこなしていました。もうこうなると悪循環です。
これは後から妻に聞いた話ですが、ある晩いつものように私が帰宅すると私の口角は不自然にゆがみ顔面麻痺の兆候がでていたそうです。
私の限界を察した妻は何も言わず行動を始め、すぐに妻の身内の会社で働けるよう手配してくれました。
ちょうどこの頃、会社では社員が2週続けて亡くなったため、警察と労働基準監督署の調査が入りました。
そして残業代は全額支払われるようになったのです。
わずかに雇用状態は改善したものの、私の精神状態はもう限界にきていました。
それから間もなく妻が再就職先を手配してくれたおかげで、退職という希望の光が見え顔面麻痺が悪化することなく退職できたのです。
このことは、今もとても感謝しています。
私が退職前にある上席者から聞いたのは、 実は私の出世は上司により妨害されていたこと。
本当であれば少なくても2~3年は早く昇進していたと話してくれました。
実際、私は出世コースといわれるプロジェクトメンバーに選ばれたにも関わらず昇進しなかったのです。
他のプロジェクトメンバーが出世する中、私だけが昇進しなかったので私も心のなかで不自然に感じていました。
でもまさか上司が私を精神的に追い詰め理不尽に扱うだけではなく、私の出世を妨害しているとは思っていませんでした。
退職から数年たち、最近久ぶりに当時の同僚と話す機会がありました。
あの上司は今も変わっておらず、新しいターゲットを見つけ精神的苦痛を与えているそうです。
私が辞めてから、退職する社員が後をたたず社内は人手不足に悩まされているようでした。
社内ではこの上司のことを「会社のガン」と呼んでいます。
このガンである上司が会社を去らない限り、会社が倒れるのも時間の問題でしょう。
いまも会社には辞めたくても辞めることができない仲間達がたくさんいます。
彼らが気の毒で仕方がありません。
1日でも早く上司が法的に罰せられ、労働環境が大幅に改善されることを願っています。