愛知県在住、25才、女性、てんぺろん
私が3年ほど耐えながら勤めた『フギ○ラ化学』
今思うとなんでそんなことに…な色々なエピソードを暴露していきたいと思います!
暴露その1 見学、採用試験から違和感ありあり
フギムラ化学(以下フギ○ラとします。)では、事前に職場の見学をさせてもらえました。
あまり重要視しない方もいますが、まず入って受付にて挨拶をしたところ、フロア全体からの「こんにちは…」と覇気のない挨拶が飛んで来ました。
そんなにあいさつしたくないなら無視していればいいのにと思いましたが、のちにその理由がわかります。
詳しくは以下の文章を読んでいただけるとわかるかと思います。
ざっと職場環境を見学させていただき(もちろんかけられる言葉は「いらっしゃいませ…」か無視でした)、質問の時間になりました。
個別ではなく志願者が一度に見学だったので、各々の気になることなど質問していました。
私もここでやる気を見せてようと、質問をしました。
一般事務職応募予定だったので、
「もし、採用していただいた際にはどのようなお仕事をしますか?」と質問しました。
人事担当者から返ってきた返答は
「ああ…まあ、いろいろだね。」
いやいや!その色々を聞きたくて質問したのですが?!と拍子抜けしました。
返答はそれだけで、少しの疑念を抱きながら帰りました。
そして別日に採用試験がありました。
面接室にノックをして入ると見学で見た人事担当2人ともう1人知らないおばさんが…
(誰なんだろう)と思いながら面接を受け、なぜか合格、入社となりました。
このおばさんの正体については暴露その3で書いています。
暴露その2 新人研修という名の意味のない3日間
無事入社して、最初に行われたのは新人研修でした。
その内容の半分が社長のあいさつや経営理念の説明、もう半分が今でも意味がなかったのではないかと疑問だらけでした。
疑問だらけの内容はズバリ、『企業理念の暗記、復唱、声出し、暗記テスト』でした。
だいたい10項目ある企業理念の書いてあるプリントを渡され、3日間の間に覚えること、そして暗記テストで満点以外は新人研修を終えられないという地獄でした。
これがまた長々とした文章で、一字たりともミスは許されない、異様な緊張感でした。
新人研修の朝礼は大きな声でこの企業理念の声出しから始まり、ノートに書いては覚えての繰り返しでした。
私は最終日のテストで無事満点で終えられましたが、この時点で半分は居残り、1週間後には4人辞めていました。
暴露その3 マニュアルすらないのにすぐ実践
その後配属され、教育係として面接官として座っていたおばさんが就きました。
業務をその方から任され、始めてみるとすぐさまどう処理して良いか分からなくなりました。
なので、教育係に聞く。
それを何百回としました。
さすがにマニュアルはないのかと思い、教育係に聞くと「うちの会社にはそんなものあんまりないよ」と言われました。
マニュアルがないならもう聞いて聞いて自分でマニュアルを作るしかないと思い行動していたら、ついに教育係から「勝手にやって、私に聞かれても分からないから」と聞くことすら拒否されました。
こうなったら失敗をしながらの独学です。
会社内で独学ってどういう意味だと思いながらどんどんメンタルは蝕まれていきました。
暴露その4 ほとんど知らない新人をお昼番にして一人放置
受付も兼務していたのですが、来客はお昼休憩とされている12時~13時の間にもいらっしゃいます。
その対応は基本フロアに1人で残りでした。
しかも勝手がわからない新人である私を置いて。
来客したらどうしようと不安だったり、実際に来客があった時は震えながら、でも脳みそはフル回転して対応していました。
そのお昼当番がある日は、慣れるまで恐怖でしかありませんでした。
しかもご飯を食べる時間は15分だけ、残りはサービス残業という形でした。
労基に訴えたら一発で勝てたと思います。
暴露その5 入社して半年後にはサービス残業を22時まで
繁忙期も重なった半年後には立派なサービス残業をしていました。
平均して22時まで、最長で終電ギリギリでした。
この頃は体力的にも精神的にもピークに疲れていました。
ある日なんて、会社の階段を降りようとした時一瞬意識がなくなり、落ちかけたこともありました。
もちろん「大丈夫かー」の一言だけで誰も見向きもせず、動かずでした。
まだ、声をかけられただけ奇跡かもしれません(笑)
暴露その6 スポーツ大会という名のサービス出勤
フギムラには年に5,6回ほど色々なジャンル(草野球、ボーリング、ゴルフ、バレーボールなど)のスポーツ大会がありました。
当然開催日は休みとされているはずの土曜日でした。
しかもその日は出勤日とはカウントされず、いわゆるサービス出勤です。
得意でもない競技に無理やり出させられたり、「勝ったらどうなるかわかっているんだろうな」や「来年はつぶしてやる」と脅されたり、特に出場もしない場合はなぜかデスクで普通業務をしたり。
かといって優勝したら景品があるのかと思えばコピー紙に印刷されたペラペラの賞状1枚でした。
福利厚生が逆に首を絞めているとはこのことだと思いました。
暴露その7 更衣室で笑顔でネチネチ嫌味を言われる
これはどの会社でも女性ならあり得る話ですが、私の場合は複数の先輩に毎日言われました。
「○○さんは手際が悪いよね、なんとかならないの?」
「自分だけでマニュアル作ったんならみんなに共有すればいいのにしないなんて、本当に心が狭いね」
「○○さんは楽なほうだよ、私らの入社した時なんてさ…(小一時間ほど昔話)」
「(慣れて定時で帰れる期間があった時)あんなに早く帰れるはずない、絶対ズルしてる」
…など上げだしたらキリがない程、しかも笑顔で言われました。
交代で言われる日もあれば、酷い時は囲まれて儀式のように言われることもありました。
暴露その8 入社2年目にして重要メールの送り先から外される
やっと慣れてきて、耐えながらも仕事していたある日、課長から呼び出されました。
「最近会議に遅れてくることあるけど、そんなに嫌なのか。そんなに嫌なら辞めれば?」と言われました。
これには言っている意味が分からず、あとから原因がわかりました。
会議に日程やその他で必要な伝達事項の伝える社内メールが私のもとにも届かないようにされていました。
メールの送り先リストから私が外されていたのです。
担当の人に言って戻してもらいましたが、またすぐに届かなくなり、何度かこれが繰り返され、これは悪意のある行動をされているなと確認しました。
このころからでしょうか、フギ○ラを辞めようと思い始めました。
暴露その9 ボーナスがまさかの現物支給
これがフ○ムラを辞める決定打になりました。
3年目の夏のボーナスで、まさかの食パンを渡されました。
誰かのお土産か何かかと思って同僚に聞くと
「今年のボーナスは、この高級食パン1人一斤だってさ」
もう意味が分かりませんでした。
まず食パン買うお金あるなら、そのまま給料で欲しかったし、何より今の時代に現物支給とは何事かと思いました。
私の今までの頑張りは食パンになって帰ってきたのかと、心底ガッカリしました。
心労や鬱積していた感情が爆発して次の日に辞表を出しました。
私がフギ○ラに約3年勤めて思ったこと
3年間何もキャリアアップもせず、無駄な時間を過ごしたと思いました。
むしろ心の病や体の痛みなど代償しかありませんでした。
今この瞬間もそんな会社、それ以下の会社はたくさんあります。
逆に本当に普通の会社(サービス残業なし、有りでも残業代はちゃんと出る。福利厚生がしっかりしている、社員へのケアを怠らない)も身の回りにはたくさんあります。
転職した今、それを実感しています。
フ○ムラで得られたものはその実感だけです。
体が悲鳴を上げる前に、心が壊れるその前に、できることはたくさんあります。
急に休んでみるのもありです。
そんなことで人は死にません、安心してください。
命を絶ってしまうぐらいなら、1日布団から出ずに好きなテレビ見たり本を読んだり、とことんだらけてみましょう。
それが1週間、1年と伸びても大丈夫。
お金の面で心配なら手当や相談窓口もたくさんあります。
そこに時間を使ってみませんか?
私はお勧めします。
これまでの文章を読んで、これ以上に酷い、または同等に感じたのなら余計です。
どうかあなたの力になれることを願って。