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看護師ブラック

ブラック職場から逃げよう

・自己紹介
初めまして。現在24歳のmokiと申します。私は、専門学校卒業後、地方にある総合病院で手術室看護師として働いていました。1年半勤めましたが、職場での人間関係に悩み退職し、現在は別の場所で働いています。私が仕事を辞めるきっかけとなった、ブラック職場についてお話していきたいと思います。
・私が勤めていた病院について
私が勤めていた病院について簡単にご紹介します。
私は、地元の大きな病院で働いていました。入職前、配属先の希望調査はあったものの、実際に配属されたのは、希望に書いていなかった手術室でした。
勤務形態は、日勤のみで原則土日祝日は休みでした。
手術件数は年間5000件程度、看護師は20人と看護師が不足している状態でした。
平日、休日ともに待機制度が設けられており、1日の待機は2人です。待機も朝、通常通りの時間から勤務し、その日の手術がすべて終了するまで、残業します。そのため、急患が続けば、翌朝まで帰れないということもありました。
・業務内容
入職した当初は、手術に使用する器械の名前を覚えるところから始まりました。次に、1つ1つの手術の手順を覚え、実際に手術の器械だしを行うようになりました。日々、先輩に指導して頂きながら学習し、1年目を終えるころには、多くの手術の器械出しが出来るようになっていました。
2年目からは、手術室での外回り看護師の業務について本格的に学び始めました。術前訪問を行ったうえで、患者の看護問題を立案し、患者にあった手術室看護とは何かを日々考え模索していました。
そうして、日々業務をこなしていく中でブラックな部分に直面することが多くなってきました。
・実際にブラックだと感じたところ
ここからはいくつかの項目に分け、実際にブラックだと感じたことについてご紹介させていただきます。
・病院の待遇について
こちらの部分に関しては、1年目の終わり頃、待機に入り始めた時から強く不満を抱くようになりました。具体的な内容について、今からいくつか述べていきたいと思います。
・待機手当について
まず、私が勤めていた病院では、待機手当というものがありませんでした。月に待機は5回~6回程度あり、半分が休日の待機でした。休日の待機は、呼び出しがかかれば、すぐに出勤しないといけないため、外出はできず行動に多くの制約がありました。しかし、待機手当がないため、急患で呼ばれなければ待機していても0円です。
休日の行動は制約されるのに、呼ばれなければ0円。ここに大きな不満を抱きました。

・待機明けの待遇について
次に不満を抱いた点は、待機明けの待遇についてです。冒頭で待機制度については簡単に述べましたが、少し補足する点があります。待機はすべての手術が終わるまで残業すると書きましたが、私が勤めていた病院では残業が22時を超えた場合は翌日が半日休み、24時を超えれば1日休みという決まりがありました。
しかし、ここにも不満を感じる点があったのです。それは、この待機明けの休みは私自身の有給が使われるということです。働けば働くほど、有給が消化されていきます。
人より多く働いているのに休めない、という状態になってしまい、大きな不満を抱きました。

・休み希望について
私には同じ部署に2人の同期がいました。比較的仲もよく、週末は3人でよく飲みに行っていました。ある日、私たちは3人で旅行に行こうと計画しました。しかし、土日は誰か1人は待機があり、3人そろって土日休みということはまずありませんでした。
そこで、旅行計画を実行するべく、翌月の勤務希望表に3人で日にちを合わせ、土日の休み希望をとりました。私たちは3人で行く初めての旅行にワクワクしていました。しかし、休み希望を書いた次の日の朝、私たちは師長さんから呼び出しを受けました。
そこで言われた言葉はこうです。「3人同時に休み希望をとるなんて何を考えているの。シフトを作るのは大変なのよ。今後はこうゆうことは一切しないで。」こう言われました。そんなこと言われると思ってもみなかったことですから、それは驚きました。
心の中では、職員がきちんと休みがとれるようにシフト調整するのが仕事でしょ、そう思いました。しかしその時は「すみません。」と言い、ぐっとこらえました。
このようなことが多く、休み希望を合わせるのはもってのほか、平日に休み希望をとることはほぼ出来ませんでした。待機明けが有給消化なわけですから、むやみに有給を使われては困るというのもあったとは思いますが、休みぐらいきちんと、とりたいというのが本音でした。

・職場での人間関係について
手術室では患者とのかかわりも少なく、勤務形態の日勤のみのため、スタッフ間の関りがとても多くなります。その状態で、強烈な性格をした先輩が何人も潜んでいたのです。
入職当初は辞めないようにと、比較的優しく指導して頂くことが多かったように感じます。しかし、次第に本性が出てくる人がいました。指導してもらったことがないことを、いきなりやれと言われ、それができないと「バカじゃないの」などと平気で罵られる日々が続きました。
スタッフの悪口を言うのも日常茶飯事。後輩の前で平気でスタッフの悪口を言い、悪口を言っていたスタッフが来れば、今度はそのスタッフと別の人の悪口を言う、そんな光景を毎日のように見てきました。裏では悪口を言い合っているのに、表向きはあたかも仲が良いようにふるまっていました。私はその光景を見て、性格悪い人が多いなぁと嫌気がさしていました。
また、自分が1番仕事が出来ると思っている人が多かったわけです。そのため、日ごろから「私のやり方が正しいから、私の真似をしなさい。」とよく言われました。しかし、その人のやり方を真似ていたら、今度は別の人に「そのやり方はおかしい。私のやり方が正しいから。」なんて言われるのです。人によってやり方が違うものの、自分のやり方が1番正しいと思っている先輩が多いため、私たちは大変でした。
看護の現場では、よく患者の個別性という言葉がでてきます。しかし、私たちは患者だけでなく、先輩の個別性を考えたうえで行動せざるを得なかったです。そのような日々が続き、少しずつストレスが増えてきました。
私が、退職するきっかけとなったものに、人間関係がもっとも影響していたわけですが、その中でも、私に退職を決意させる大きなきっかけになった出来事が起きたのです。

・退職のきっかけとなった出来事
私は、日々のストレスが蓄積し、仕事に行くことさえも嫌になってしまっていました。毎朝仕事に行くのが嫌で仕方なかったです。それでも、仕事だから、お金のためと割り切って仕事に行っていました。
しかし、そんな中不運な出来事が起きたのです。いつも通り仕事を終え、車で帰宅していた時、信号待ちをしていたら後ろから車が突っ込んできました。ぼーっとしていたとのことで、ブレーキを踏むことなく突っ込んできたものですから、それはすごい衝撃でした。幸いにも大きな怪我はなったものの、首の痛みがあったため、次の日病院を受診しました。
病院での受診結果はむちうちと頸椎の捻挫とのことで、数日間リハビリに通ってくださいと言われました。翌朝、師長さんにこのことを伝えた後に言われた言葉に、私は唖然としました。「病院で自分が看護師ということを伝えたのか。看護師なんだから平日リハビリに行けるわけがないでしょ。自分でどうにかしてね。」と最後は笑いながら言われました。「大丈夫?」と体を気にかけてくれる言葉もなく、言われたのはこの言葉のみでした。この瞬間私は、この人は部下の体のことなんて、大して気にも留めていないのだと感じました。
その後も、散々な目にあいました。一言も言っていないのに「○○さん(私)仕事できないって言ってるよ」と言いふらされました。首に湿布を貼っていようものなら「よくそんな大げさに張れるよね」なんて言われる始末です。もちろん、真剣に心配してくれる人もいましたが、一部の人にそのように言われる日々が続き、私は気持ちが酷く落ち込んでしまいました。
気持ちが落ち込む日々が続き、「顔にやる気がない」と言われることが増えました。しまいには、「今日スッピンでしょ。そんな顔で仕事しないで。」なんて、いつも通りの化粧をしている時に言われたりもしました。今思えば、何か見つけて嫌味の1つや2つ言いたかったのでしょう。しかし、私はその一言一言に傷ついてしまい、ある日突然仕事に行けなくなってしまいました。

・仕事に行けなくなってから
仕事に行けなくなった後は、メンタルクリニックをすぐに受診しました。そこで、1か月療養が必要という診断書を書いてもらい、1か月休職後しました。その後、職場に戻ることなく退職しました。
・退職してから思うこと
仕事を休職した当初は、みんなが頑張っているのに私は逃げた、という思いが強くありました。仕事場に再び戻るほうが社会的にみてもいいだろうとも考え、休んでいる自分に劣等感をいだきました。仕事に戻らなきゃと思いつつも、戻るのが怖くて戻れない、この感情をひたすら繰り返し、気持ちの落ち込みはますます激しくなったように思います。
辛い現状から逃げたという劣等感を抱く私に、ある人がこう言いました。「逃げるということに抵抗を持ちすぎている。逃げることは悪いことじゃないし、逃げ続ける人生だって別にいい。ただその中で自分がまた頑張ろうと思えた時に頑張ればいい。」そう言われました。逃げることは、悪いことだと思っていた私は、この言葉を聞き逃げても良いのだと思いました。そして、仕事には戻らないという決心をしました。
その後、自由な時間が増え、自分と向き合うことが出来ました。自分自身の物事の考え方を見つめなおし、どのように物事をとらえたら傷つかずにすんだのか考えました。そうすると、私自身の思考のゆがみにも気づくことが出来ました。そして、看護とはまた違う分野の勉強をすることで、今まで知らなかった世界を知ることができ、今は日々新しいことを学ぶことが楽しいです。
確かに仕事を辞めてしまったことで、失ったものもあります。しかし、仕事を辞めたからこそ得ることができたものもあります。あの時、無理をして仕事を続けていたら、きっと精神的にも落ち込んでいる私のままだったと思います。勇気を出して仕事を辞めてよかった、今はそう思っています。そして、仕事を辞めたことを後悔することがないように今後も感がっていきたいと強く思います。
・今悩んでいる人へ
職場のパワハラで悩んでいる人はきっと大勢いると思います。私はここに、私自身が経験したブラックな職場について書きましたが、もっとひどいブラックな職場で働いている人もいるでしょう。
今の仕事場を辞めるか、辞めないのかを決めるのはあなた自身ですが、今の仕事を辞めなかった時、自分に残るものは何かを一度考えてみてはと思います。仕事を辞めることは、現状を大きく変化させるということです。生活を変化させることはもちろん怖さもあります。しかし、良い変化を期待してみる価値は十分にあると思います。逃げることに抵抗を持ちすぎると、結果として自分自身を苦しめてしまうことになります。逃げることは決して悪いことではありません。人生長い中で、時には逃げることも大切です。ただ、逃げた後逃げて良かったと思えるように行動することが大切にはなってくるのだと、私は考えています。
職場のことで悩んでいるあなたが、少しでも明るく楽しい生活が出来るように、私は応援しています。