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40代の転職

いつだって辞めたかった急性期病棟看護師の思い出

私は25歳で看護師4年目の【のこ】と申します。東京都在住です。

今回は私が新卒で入職したA病院の急性期外科病棟を辞めたいと思った時の話をしたいと思います。

私がA病院を辞めたいと思ったのは、
1. 残業が毎日3時間以上だった時
2. 幹事を1年間やった時
3. 職員は辞めていくのに新しい職員が配置されなかった時
4. 有休が消化されなかった時
の、以上4点です。

おそらく、急性期病院の多くに上記4点が当てはまると思います。それどころかもっと酷い条件下で働く看護師は沢山いるでしょう。そんな中でも、私の経験した1つの病院での出来事を具体的に掘り下げ、少しでも多くの方に「こういうこともあるんだ。」を共有できればと思います。

そして今必死に働いている看護師さんが「私も頑張ろう」「やっぱり辞めよう」など、感じることがあれば嬉しいです。

それでは以下に具体的な内容を記載したいと思います。

1つ目は【残業が毎日3時間以上だった時】です。

私が看護師2年目の時です。病棟の看護師が1人、また1人、時には3人、続々と辞めていきました。それに比例し、業務は忙しくなっていきました。日勤はリーダーでも受け持ち患者を5人つけられ、夜勤メンバー数は4人から3人に減りました。看護体制なんて言葉は存在しなかったように思います。本当に不思議なんですが、辞めた人達のお給料ってどこに行っているんですかね?せめて残った看護師たちに配分されれば頑張れるのに・・・と常々思っていました。

最初はみんなで「しんどい」と言いながらも頑張っていましたが、徐々に限界を迎える人が現れました。体調不良により欠勤したり、仕事中に倒れてしまったり、鬱になって辞めてしまった人も出ました。それにより更に日々の業務内容が過酷なものになっていきました。毎日のように他の病棟から応援の看護師に来てもらっていました。酷い時には病棟看護師3人(リーダー含む)+応援看護師3人なんてこともあり、「何病棟だよ!!!」と内心突っ込んでいました。

私自身、毎日病棟が消灯してから帰路につくという日々が続き、熱発して2日も休んでしまいました。この時は「迷惑をかけて申し訳ない」という気持ちでいっぱいでした。しかし冷静になると、「なんでこんなに苦しい日々を過ごしてまで人の命を背負わなきゃいけないんだ。」「残業代も満額出るわけでもないのに。」「人を助ける立場の人間が体調を崩していたら意味がないじゃないか。」など散々病院に対して腹をたてる自分が居ました。

また、A病院では看護師2年目にケーススタディの作成が課されていました。たとえ「自身の看護を振り返る」「今後の自身の成長の糧にする」と銘打たれても、勘弁してくれと思わざるを得ませんでした。21時まで残業したら、そのまま図書館へ行き、日付が変わった頃に帰って翌日も日勤という日々を過ごしました。このケーススタディ、私たち看護師のプライベートの時間を利用して作成するのに、1円にもならないんですね。なんなんでしょうね。

本当に辞めたいと思う時期でした。

2つ目は【幹事を1年間やった時】です。

私のいた病棟では【看護師2年目が1年間の歓送迎会や飲み会の幹事を行う】という病棟ルールがありました。しかも、ただ幹事をするだけでなく、送迎会では辞める方にメッセージブックを作成し、お花とプレゼントを用意しなければならないのです。歓迎会でもプレゼントを用意しなければなりませんでした。上記で記載していた通り、歓送迎会が多い年だったので、病棟費はカツカツになり、時にはポケットマネーからお金を出さなければなりませんでした。忘年会では余興をやらされました。その時だけしか利用しなかった衣装は全て自費です。本当に慈悲もない。みんなで交代しながらやればいいのに、なぜか2年目。それが病棟の尊ぶべき伝統らしいです。心底どうでもいいと思っていました。

繰り返しますが上記でも記載しているように、私が2年目の時に看護師が辞めるわ辞めるわ。メッセージブックを作成するために、スタッフへメッセージを記入する紙を配布すると「次は誰の?」と聞かれる始末です。これを送迎会の数日前に回収し、メッセージブックに張り付け、デコレーションをする。休みはこんなことばかりで終わっていきました。

もはや虚無でした。

当然のように日々辞めたいと思っていました。

3つ目は【職員は辞めていくのに新しい職員が配置されなかった時】です。

看護職員が5人辞めて新しい職人が0でした。7人目が出て、ようやく2人配置されました。これだけ聞くと、もともとは人が居る方だったのではないかと錯覚してしまうほどです。

A病院をインターネットで検索すると「時短勤務可能!ママさん看護師にも優しい職場です!」と記載されているサイトがありました。他の病棟は知りませんが、私の病棟ではとてもママさん看護師に優しい環境とは言えませんでした。時短勤務のママさん看護師が重傷を含め7人の患者を受け持たせられたり、手術患者を受け持たされたりしていました。そのママさん看護師は「こんなんじゃ病棟の患者さんたちを守れない」「家族との時間が取れない」と泣きながら師長へ訴えていたのを見たときは、心が痛みました。

私でさえこんなにツラいのに、家庭があって、子どもも居て、家事もしなければならない人にとって、あの環境は明らかに異常でした。そのママさん看護師も、ほどなくして辞めてしまったのは言うまでもありません。

しかし師長等管理職の態度は大きく変わらず「大変だと思うけど、体調管理をしっかりしながら今日も事故なく頑張りましょう!」といったお気楽さ。そりゃそうでしょう。ナースコールが鳴りやまなくても「誰か早く出て~」と言いながら手伝おうとせず、スタッフが残業している中「早く帰ってね~」と言ってほぼ定時で帰っていくんですから。
管理職の仕事もあるため、なんでもかんでも手伝えなんて思いません。ただ、オペが帰って来て、緊急の入院が入って、ナースコールが3件同時に鳴った時くらい動け・・・そんなんだから人が見切りをつけてどんどん辞めていくんだよ・・・と呆れることしかできませんでした。

4つ目は【有休が消化されなかった時】です。

看護師3年目の先輩が退職した時、有給は20日以上余っていたそうですが、最後に2日分だけ消化され、残りはどこかへ消えたそうです。その先輩は「消化してほしいけど、もう疲れたからいい・・・。」と言って辞めていきました。労働基準監督署に行って相談さえできないほどに疲弊してみんな辞めていっていました。

その傍らで師長が毎月1~2日ずつ有休を消化しているので、みんなの鬱憤はより高まっていたように感じます。師長も有休の中で学会や研修に出たりする日もあったそうですが、半分は普通のお休みだったそうです。

みんなが有休消化に諦めモードの中、とある先輩が休み希望の一部を有休で提出しました。しかし何の相談もなく、普通休暇として扱われ、有給は1つも消化できることなく終わりました。

私も師長に「有休を消化させてほしい。」と訴えましたが、師長からの返答は「有休はあなたが体調不良を起こした時の保障です。あなたが突然骨折などで長期間の休暇が必要となった時、有給がなかったら困るでしょう?」といったものでした。「ではせめて、辞める時に余っているものは消化してほしい。」と訴えると、「それはできない。先輩たちもみんなしていない。これは他の病棟でもそうだし、仕方のないこと。あなただけ特別扱いはできない。」と言われました。結局は法律違反でも、多くの病院や企業でも同じような事例が存在する限り、消化する気はないんだなと感じました。

A病院に限らず、多分病院というものは、実際に死ぬ職員が出たり、世間からより大きな声で批判されたりしない限り、現状を改める気はないんだと思います。私たち医療従事者の叫びより、患者家族からの叫び(クレーム)が大きいのが現状でしょう。

患者の安全安楽な毎日のために、看護師として頑張るのは当然のことです。しかし、そのために自分の有休消化をなかったものとして扱われるのは我慢なりませんでした。私たちだって普通の人間なのに、自分自身の体調管理をしたくても出来ないような環境で他人を看護する。とてもストレスフルな日々でした。

以上のように、私はA病院を辞めたいと多くの場面で思ってきました。現在は無事に退職し、別の病院で働いています。辞める時にもひと悶着あり、もちろん有休は2日分しか消化されませんでした。

長々と書いてきましたが、これでもA病院は数あるブラック病院と比較すると、①残業代は一応出る、②有休を2日だけでも消化してくれる、③年間休日が120日ある(買い取られることも多いが、買い取りとして処理はされる)、④病院食のメニューがいくつかあり安いなどといった面でまだマシなんだろうなと感じています。

いつになれば患者を守る私たち医療従事者のワーク・ライフ・バランスは守られるのでしょうか。読んで下さった皆様の毎日が、少しでも充実したものになることを祈るばかりです。

閲覧ありがとうございました。

2019年8月 のこ