「困ったときの神頼み」なんて言葉があります。だれでも一度は聞いたことがありますよね。そして一度くらいつい「神頼み」してしまった経験もあるのではないでしょうか。日ごろから神さまの存在なんて意識したことはほとんどないのにもかかわらず。
それが普通です。一般的です。大丈夫です。私も以前はそうでした。神さまについて考えたことも有りませんでした。そんな私でしたが、いまは「神頼み」の日々です。
というと他力本願なイメージしかないでしょうか。ちょっと違います。「ハレの日」も「ケの日」も神さまとともにいます。でも宗教的なものとも違います。神さまを常に身近に感じているという表現が近いかなと思います。
私を救ったというと少し大げさな感じがしますが、ここまでの短くない人生には様々な出来事がありました。自分自身で選択してきたことがほとんどですが、自分なんて無力だなと落ち込むこともたくさんありました。それも人それぞれの感じ方であって、他人からは「そんなことで」と笑われてしまうかもしれないことでも当人にとっては一大事だし、そもそも天災には敵うはずがないし。何が問題で、事件で、誰によって何によって救われるかなんてことは、本人だけにしかわからなくて、それでいいんだと思っています。
私は、簡単にいうと、人間同士の信頼関係があまりわからないまま成長しました。まず親とのかかわりがほとんどなく、愛情を知らないだけでなく叱られる経験も数えられるほどでした。親戚や地域の年上の方と接することもなく、目上の方から教えをいただくこともありませんでした。子ども時代、友だちはそれなりに付き合いがありましたが、その場その場のものでした。現在の自分は初対面の人とも気軽に話すことができ、友人、知人はそれなりに多い方だと思います。それでも、根っこにはいまでもひそやかに暗いものが渦巻いているというか、他人との間に表現しがたい超えにくい壁が残っていることは事実なのですが、日常では隠れてくれているし、そんなものはたいていの人に少なからずあるものですね。成長過程のなかで、人間関係も上手にやり過ごせるようになってきた部分はもちろんあります。でも、神さまのお力を借りて、「私、変わったんじゃない?」と本人が信じるエピソードをここから語らせていただきます。
その当時お付き合いをしていた男性、お互いにバツイチ子どもありのため、再婚するのかしないのか、将来の話も真面目にしないまま7年くらいの年月をともに過ごしていました。7年が長いのか短いのかわかりませんが、恋でもなく家族としてでもなく、ただなんとなくの日々でした。そろそろ別れて自分の将来をきちんと見つめたほうがいいという私も存在していました。でも別れてそのままずっとひとりの老後になったらどうする、寂しいだろうし生活も不安定だしと踏み切れない私とが同居していました。日々葛藤し、喧嘩をしてもつい自分が謝ってばかりでも、若いころとは違って不安が勝ってしまっていました。そして運命のその年、毎年恒例の旅行先が「日本人のこころのふるさと 伊勢神宮」でした。一生に一度はお参りするべきというお伊勢さんですが、その当時は正直よく知りませんでした。
お伊勢さんにはお参りの順番があります。二見興玉神社から始まり外宮、そしてやっと内宮に参拝できます。待ちに待った内宮は、まずその大きな鳥居に圧倒され、五十鈴川を眺めながら美しい宇治橋を静かに渡り、ぴんと張り詰めた空気を感じます。その感覚は今までに体感したことのないものでした。「神さまがいる」と感じました。式年遷宮からすぐの真新しいお社は、私自身もきれいなものに変えてくれる気がしました。嘘っぽくしか聞こえないとしたらどうしたらよいのでしょう。私はそこで漠然と「神さま」を感じました。まだ帰りたくないと思いました。次の日も予定を変更して同じように内宮を歩きました。五十鈴川にも入ってみました。苔に足を滑らせて尻餅をつきました。びしょ濡れになったわけですが、これが「禊」だと思いすっきりしました。そのあとは熊野まで足を延ばして、有名な熊野神社さんたちもお参りしました。もちろんそちらも歴史があり威厳があり、社殿も滝も見応えがあり見事でした。
現実に戻ってからの私はまず「古事記」を勉強しました。そこには八百万の神さまたちがいらっしゃいました。日本昔話的なお話が神々と結びついていました。当然といえば当然ですが「天照大神」に夢中になりました。神棚をつくって自分なりにアマテラスさまをお祀りしてみました。何がそんなにはまったのか、それはやはり伊勢神宮を訪れた時の空気感というか言葉では説明しにくい、体で感じた何かだと思います。そして自宅からお参りできるアマテラスさまのお社を調べて伺いました。そして大事なこと、つかず離れずだった男性とはお別れしました。怖いものが無くなった感じがしました。アマテラスさまのところには自分ひとりでお参りしたいと思いました。心を静めて、私自身の時間の流れの中で。
お別れしてすぐに一人旅を決めました。いままでも何度となくよりを戻していたので、「悪縁を絶ち、良縁に出会い、縁が結ばれる」日本三景松島の縁結びコースというものに目をつけ、人生初の一人旅に出発しました。こんなに行動的だったことはありませんでした。その男性だけでなく、その時あった不要な人間関係をすべて処分したいと本気で思いました。過去からずっと続いていた自分にとって不要なものすべて。必要なものはここからまた見つけたらいいと心から思いました。松島に出かければいいというものではないけれども、自分の本気度を試すつもりでした。
松島は震災の被災地です。始めに目指した渡月橋は、新しく架かったものということでした。悪縁を絶つ縁切り橋です。なんてことない赤い橋でした。渡った小さな島も、すべて自分の気の持ちよう、自分次第なんだということを言い聞かせるような島でした。二番目の出会い橋は福浦橋という250メートルの朱塗りの橋でした。海に浮かぶ長い橋。ここはなかなか爽快でした。恋愛だけでなく、人との様々な出会いをください。取捨選択しながら自分自身も見つめ直し、人生をやり直すつもりで生きますとぶつぶつつぶやきながら往復しました。そして三番目、五大堂に架かる縁結び橋は透かし橋といい、下の海が臨めます。というより、下手したら落ちます。珍しさから外国人観光客がたくさんいて、しかも皆さんなぜかその場所から動きません。この橋がどうして縁結びにつながるのだろうか、理由はわかりませんでした。短い橋なので、恋愛に限らず私にとって必要なご縁は結んでくださいとお願いするのがやっとでした。なにはともあれ「日本三景松島とびっきりの縁結びコース」はやり遂げました。
迷ったときも困ったときも自分で解決し、その土地の人とたくさんお話しをし、それはそれは満ち足りた一人旅になりました。これはクセになるだろうと思いました。そしてなんだか身軽になった感じがしました。本来の私は、たいていのことは自分で決めてきた、後悔もたくさんしたけれど、ひとりになることが不安で前に進めないなんてまったく私らしくないと、少々大げさではありますが、地に足がついたという感覚でしょうか。進むべき方向はまだわからないけれど、自分の足で立つことができました。
迷いが生じて、正しく導いてほしい時は「猿田彦命」、無病息災、厄除け厄払いは「素戔男尊」、勝負事、交渉事に勝ちたいときは最も強い武神「建御雷神」、優しい心で周りから慕われ愛されたご縁を結ぶ「大国主命」。古事記に登場する神々は私たちと同じように性格を持ち、苦悩し失敗もし、愛し愛され、本当にユニークです。まだまだ道半ばではありますが、私にとっては学ぶことが気分転換につながり、そして教訓を得ます。それから実際にその会いたいなと感じた神さまのいらっしゃる神社さんにお参りにいきます。元気なパワーをいただける神社さんばかりではなく、ここは私には合わないかなという神社さんももちろんあります。それでもいまの私には最大のストレス解消法です。自分が生まれ落ちた土地の産土神、いま住んでいる土地の氏神さま、どこからお参りしたらいいかわからない人は、手始めはそこからです。直感を信じながら、自分の足でどんどん歩いて、自分の世界を広げていってください。そしてやはり、どうぞ一生に一度はお伊勢参りを体験してください。百聞は一見に如かずです。ご自身の身をもって感じてください。