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ブラック企業 体験談

【会社辞めたいエピソード28】指示なし・休みなし・パワハラあり!私が伝えたいブラック製造業界の闇

北陸在住、28歳、女、大槻チハル

私は大学卒業後、地元の製造企業に6年間勤めていました。そこまで有名な企業ではありませんでしたが、社名だけは聞いたことがあると人から言われるくらいの企業で、「良いところに入ったね」なんて言われることもあり、新入社員の私はこれからの社会人としての生活に期待で胸を膨らませていました。しかし、その期待は徐々に打ち砕かれることになるのです。

・指示を出さない上司
私の所属していた部署の上司は、上司であるにも関わらず指示を出さない人でした。その理由は当然本人から語られることなどありませんでしたが、何故そうであるのかは周りで見ていればすぐに分かりました。
その上司は、ただただ自分が責任を負うことを避けたかったのです。
会社としての大きな仕事から部署単位の細かな業務まで、何ひとつきっぱりと指示を出してくれることはありませんでした。常に部下に対し「この件に関してお前はどうすれば良いと思うんだ」と投げかけ、結果が悪ければそのまま部下の責任に、結果が良ければ自分の手柄のように振舞うのです。上司という責任ある立場であるにも関わらず、また、高額の役職手当を受け取っているにも関わらず、自分の職務を全うしていないその姿に私はショックを受けました。

・有給休暇がとれない
余程の理由がない限り(自分や子供の病気、冠婚葬祭など)、有給を取ることはできませんでした。有給届けの用紙に理由を書く欄があったのですが、仕事を調整して業務への支障がない日を作り「私用の為」と書いて提出すると、まず「ふーん」と一瞥され、何の為に休むのか、その日じゃないとダメなのか、どこで何をするのかなど、根掘り葉掘り聞かれました。親近感を持ってのつもりだったのかもしれませんが、普段の振る舞いを省みることなくそのように接されてもこちらとしては不愉快なだけでした。そもそも、労働基準法では有給申請に理由は必要ないとされているのです。
それでも私の部署はまだましな方で、部署によっては全く有給を取らせてくれないところもありました。同僚から聞いたところ、上司に有給を申請したい旨を伝えると、その理由に関わらず「代わりの人がいない」とだけ言い残しその場を立ち去り、そのまま一切上司からその話を持ち出されることはなかったといいます。それからめげずに何度も同じ話を上司に持ちかけるとようやく有給申請の用紙をもらえるのですが、上司が怖くて一度しか言えない人はその用紙をもらうことすらできなかったそうです。

・製造現場のパワハラ
私が直接受けた訳ではないのですが、製造現場でのパワハラは酷いものだったと聞いています。周囲に大勢の人がいるにも関わらず、特定の従業員を大声で怒鳴りつける。作業中にミスが生じた際、同じミスであっても従業員によって態度を大きく変える(A社員の場合は口頭での軽い注意だが、B社員の場合は近くの製品を叩きつけながら怒鳴りつける等)ことが日常的に行われていた他、手や足がすぐに出てしまう責任者が多く、「殺すぞ」などの暴言や、胸ぐらを掴まれて怒鳴られることも珍しくなかったそうです。従業員に手を出すことも信じられませんが、怒りの対象が製品に向かうことも多かったということにも驚きでした。お客様の元へ出荷される製品を足で蹴飛ばしたり、機嫌の良くない日は製品が宙を舞うこともしばしばだったようです。
しまいには、責任者が従業員の足元に思い切り投げつけたマジックペンが衝撃で破裂してしまい、辺りの製品にインクが付着した為、従業員総出でサービス残業をさせられたという話もありました。

・労災隠し
日常的なパワハラで、心を病んでしまった従業員もいました。病院でも鬱病であると診断され、通常なら労災申請が認められます。しかし、その従業員は労災申請を出すことができませんでした。
「会社が原因とは書かないでくれ」と、その従業員が恩義を感じている上司をわざわざ家まで出向かせたのです。ただでさえ精神が弱っている従業員に対し、あまりにも非人道的な対応だと感じました。結局、その従業員は説得に応じ、労災の補償を受けることはありませんでした。

・自然災害時のあり得ない対応
一度、大型の台風がその地域を直撃するという災害がありました。その時は数日前からテレビでも台風の話で持ちきりで、前日には何時頃にどこを通過するのかという情報もはっきり報道されていました。取引をしている企業からくる連絡も、その日は一日休業する、または昼から休業する(台風が直撃するのは夕方でした)というものがほとんどでした。しかし、台風直撃の当日になっても、出社している従業員には会社から何の指示も出ません。昼になったらさすがに何か連絡があるだろうと待ってみても、一向に責任者達が動く気配はありませんでした。痺れを切らした従業員が「本日の業務はどうなりますか」と尋ねてやっと責任者達の会議が始まりました。台風の直撃予想時間は17時頃。会議が始まったのは15時で、終わったのは16時過ぎでした。時間も迫っているにも関わらず、不思議なことに会議室を出てからも一向に指示が下される気配はありません。またしても従業員の方から責任者に尋ねると、そこでようやく重い口が開かれました。
「工場を止めるわけにはいかない。どうしても帰りたいというのなら、帰りたい奴だけ帰れ。残った者で業務を進める」
皆言葉が出ませんでした。結局、そこで早退できたのは事務系の一部の従業員だけで、ほとんどの従業員は泣く泣く終業時間まで働くことになり、台風直撃の真っ只中に帰る羽目になりました。後から聞いた話によると、「帰りたい奴だけ帰ればいい」という発言も、一部の部署には伝達すらされていなかったようです。

・会社に不信感を覚えつつも決心がつかない
社会人になった私にとってはこの会社が一社目だった為、どんなに納得できない仕打ちを受けようと、自分の考えすぎなのではないか、世の中の会社はどこも似たようなものなのではないか、ならば順応できない自分が悪いのではないだろうかという気持ちで日々苦しんでいました。第三者から見れば「そんな会社はさっさと辞めればいい」の一言で片付いてしまうようなことでも、退職の決意を固めることは不思議と容易ではありません。家庭の事情や、この年齢で転職したとしてもその後の未来はあるのか、勤続年数が短ければ次の転職先は見つからないのではないか、一からまた仕事を覚えられるのか、などの先の見えない不安はもちろん、職場に一人でもお世話になった方がいることや、信頼できる仲間がいること自体が後ろ髪を引かれる要因になることもあります。
私が退職を決意したきっかけになったのは友人達の言葉でした。雑談の中で会社で起こった出来事などを話していると、「あなたの会社は絶対におかしい」と皆口を揃えて断言してくれたのです。その言葉が、自分の中の違和感に自信を持てなかった私の背中を押してくれました。

・さいごに
退職する決意は一度固まってしまえば揺らぐこともなく、今では余計なストレスから解放されて平穏な日々を過ごしています。本当に辞めて良かったと感じることばかりで、きっかけをくれた友人達には感謝の思いでいっぱいです。
退職後、今でもその会社の噂を聞くことが多々あります。私が退職した当時から退職者は後を絶たず、ひどい時は月に4~5人辞めるほどでしたが、今現在もその状態は変わっていないようです。