北海道在住 41才 男性 ジン
「おまえの価値はゼロだ!」と、私のデスクの前で、仁王立ちになった男が怒鳴りました。
あれから15年以上が経つのに、その光景を忘れられません。
どんなに忘れたくても、忘れることが出来ません。
私が23歳で初めて就職したコンサルティング会社で、実際に起こった出来事です。
そのとき怒鳴った男は、当時50代半ば、その会社の経営者です。
肌が浅黒く、筋肉質で、それとはアンバランスに身長が低い男性でした。
「おまえ、次ミスしたら、身体で覚えてもらうぞ!」、その男が言いました。
私は何も言えず、うつむきました。
正直なところ、なぜ怒鳴られているのか、良く理解できませんでした。
と言うのも、中途採用で入社したばかりで、何も分からなかったからです。
法律資格を活かして入社したコンサルティング業界の会社ですが、経営コンサルタントとして活動しているのは、社長ひとりでした。
それ以外の社員は皆、書類作成がメインです。
社員それぞれ作成する書類は異なります。
私はエクセルを使って、何らかのテンプレートを作成していました。
いま、その内容を思い出そうとしても、どんなテンプレートだったか…良く思い出せません。
エクセルで罫線を引いて枠を作り、その中に、何かしらの文字を入れたことは覚えています。
しかし、誰が、どのような用途で使うテンプレートかは、まるで思い出せないのです。
その理由として考えられるのは、以下の2点です。
1.脳が無意識に記憶を抹消している
2.そもそも仕事内容を把握していなかった
1は分かります。
「過酷なブラック企業の記憶を、いつまでも留めたくない」と脳が考えて、無意識に記憶を消しているのでしょう。
2に関して思い当たるのは、そもそも私は、仕事の指導を受けていないのです。
その会社は、社長を含めても10人未満の中小企業でしたが、仕事の割り振りの大半は、社長が行っていました。
少なくとも、私に与えられた仕事はそうですね。
「これをやれ!」
「あれをやれ!」
「自分で調べて全部やれ!」
そのようなザックリとした指示でした。
人生初会社員の私にとって、一体、なにを、どうすれば良いか分からず、途方に暮れることが多かったのです。
私には直属の上司もいましたが、その上司も社長から激しいパワハラを受けていたので、私に構っている余裕はなかったのでしょう。
冒頭の恫喝を受けたのは、入社から3週間~4週間、おそらく、そのくらいの早い時期かと思います。
「おまえの価値はゼロだ!」
当時の仕事内容は覚えていなくても、どれだけ脳が消したいと思っても、絶対に忘れられない言葉ってあるものですね。
「お前の価値はゼロ。次ミスしたら身体で覚えてもらう」
それまでの人生で、一度も聞いたことがない、衝撃的な言葉でした。
挫折の多い人生でしたが、大学中退後、猛勉強して法律資格を取得してからは、人生が逆転した気になっていました。
『こんな自分でも、本気になれば、出来るんだ』、素直にそう思えたのです。
資格取得後、実家を出るタイミングで仕事を探し、ハローワークで見つけたのが、その企業の求人でした。
もちろん最初からブラックと見抜けたわけではありません。
会社員経験もない、23歳の小僧にとって、面接の雰囲気だけでブラックと見抜くのは難しいでしょう。
ただ、少しおかしいと思ったのは、面接の場で、社長にこう言われたことです。
「その日に仕事が終わらなければどうする?」
私は深く考えず、こう答えました。
「終わるまで、やります」
その言葉を聞いて、社長がニヤリと笑ったことは覚えています。
入社後すぐに分かったのは、労働時間はあってないようなものだった、ということです。
要するに、サービス残業のオンパレードでした。
さらには、タイムカードさえありませんでした。
サービス残業を秘密にするため、あとから、適当に、労働時間をごまかしていたようです。
それでも恐ろしいのは、誰も、何も、意見を言えないことですね。
直属の上司も法律(特に労働基準法)に詳しかったのですが、それでも意見を言えない雰囲気でした。
明らかに労働基準法に違反している職場でも、苦言を言えない、言う気さえ起こらない、その背景に洗脳のプロセスがあると思います。
これは後から分かったのですが、徹底的に人格否定を行った後、「自分だけはあなたの味方だ」と伝えることで、人は洗脳状態になるそうです。
そのことを、どこまで社長が理解していたかは分かりませんが、手口は似ていますね。
冒頭の恫喝を受けた後、しばらくは社長に優しくされましたので。
中には、ブラック企業を辞められず、自殺してしまう方もいます(私の知人もそうです)。
『自分なんか、どこにも転職できない、何の価値もない、他では働けない』
性格が真面目な方ほど、そのように信じ込んでしまうのでしょう。
私もどちらかと言えば真面目なタイプなので、どんどん追い込まれましたが、途中から開き直りました。
恫喝に慣れたのかもしれません。
正直その辺りの記憶も薄いのですが、今から振り返ると、心が機能していなかったのだと思います。
何を見ても、何も思わない、何も感じない、ただ寝るために自宅に戻り、翌朝、早い時間に出社して仕事を行う。
そんな日々の繰り返しでした。
もちろん仕事中の私語もありません。
必要に迫られ、社員同士が話すときも、小鳥が囁くほどの小声です。
お葬式よりも暗い雰囲気の中、キーボードを打つ『カタ、カタ、カタ』という音だけが、オフィスに響いていました。
私以外の社員も、どこか病んでいたのでしょう。
特に男性社員は皆、同じ状況でしたね。
社会人経験が豊富な30代、40代の社員もいましたが、誰もが無言でした。
一度、仕事の報告か何かで、社長室に入っていく社員の姿を見かけましたが、案の定、恫喝されていました。
そんな社長ですが、仕事の実力は確かで、顧客先企業の信頼は厚かったようです。
今もそのブラック会社が存在しているかどうかは分かりませんし、コンサルティング業界全てが同じとも思いません。
経営コンサルティング会社と言っても、企業体質は様々ですからね。
ただし言えるのは、「経営者の考え方が社風を作り、経営者の性格が雰囲気を作る」ということです。
若い頃からガムシャラに働いてきた経営者は、部下にも同じ姿勢を期待すると思います。でも…働き方改革が推進されている今の時代、通用しない考え方ですよね。
結局私は、その会社をクビになりました。
正確には、「退職届を出せ」と言われ、言われるがまま提出しました。
それは今までにない退職の仕方だったそうです。体調を崩して辞める社員がほとんどだったので。
途中から開き直り、仕事中に生あくびをしていましたので、使い物にならないと思われたのでしょう。
無表情のまま生あくびをして、無表情のままパソコンに向かい、無表情のまま帰宅する。そして無表情のまま出社する。
今から振り返ると、あのとき「退職届を出せ」と言われなければ、より深刻な状況になっていたかもしれません。
自殺していたとは思いませんが、自分の命に無頓着な状態ではありましたね。何もかも、全てがどうでも良く、自分にも他人にも、関心がありませんでしたので。
その会社を退職し、転職した先は、今までとは真逆のホワイト企業でした。
サービス残業こそありましたが、パワハラはゼロで、社員が活き活きと働いていましたね。
全く異なる社風に驚きながらも、組織で働く楽しさを知り、少しずつ心が機能していきました。
以上が私のブラック企業体験談ですが、ブラックな環境で働くことにより、打たれ強くなったとは思います。
少々のことがあっても、「あの頃と比べれば」と思うと、乗り越えられるんですよね。
ただし、これだけは言えます。
私は一生、他者に向かって、「おまえの価値はゼロだ」とは言いません。
その言葉が、どれほど人を傷付けるか知っていますので。
そのことを教えてもらえただけでも、その企業には、心から感謝しています。