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ブラック企業 体験談

【会社辞めたいエピソード34】医師や看護師以外の専門職“コメディカル“として勤務!医療業界のブラック企業の実態に迫る

神戸在住、29才、女性、美月です。
私は2年前まで大きな病院で医療技術職として働いていました。医療技術職とは、医師や看護師以外の専門職のことでコメディカルとも言います。代表的なのは薬剤師や栄養士です。

今回は私がコメディカルとして働いた「ブラック病院」での体験をお話したいと思います。

聞いていた条件と話が違う!?基本給に愕然。家賃を払うので精一杯
その病院には、大学生の時の先輩に紹介されて入社しました。先輩からは「大きな病院で正社員になれば年収は〇〇万円くらいだよ。ボーナスは◯◯万円くらいあるよ」「社会保障も受けられる」「残業手当が出る」などと説明され、当時非正規職員でいくつかの病院を掛け持ちしていた私は、「これで安定する」と有り難く引き受けることにしたのです。

しかし実際に入社し、4月の明細書を見るとその基本給に驚愕しました。6万円の家賃を払うのが精一杯だったんです。もちろん夏のボーナスはなく、冬のボーナスは聞いていた金額の半分以下。でも、先輩に紹介されてコテ入社したようなものだったため不満を言うことができず、誰かも相談することはできませんでした。

「おかしいな」という不信感を押し殺して、「1年目だから仕方がない」「自分に能力がないからだ」と言い聞かせている自分がいました。

絶対君主!?閉鎖的な職場で異常なまでに権力を持つお局

私の部署は私を含めて正社員が4人おり、そこに30年以上務める60代女性が上司でした。他2人は40代女性で、2人とも既婚者でお子さんがいました。先輩に囲まれる環境は少し緊張しましたが、「ベテランの上司・先輩からしっかり指導してもらえる」という期待を持っていました。

でも、入社してみると大量の業務に息つく間もなく、先輩たちはお昼休みもご飯を食べながら仕事をし、会話する暇が全くありませんでした。その一方で上司は自分の興味がある仕事しかせず、仕事がない時は私たちを捕まえてひたすら自慢話をし、それに疲れると空いている部屋に行って寝るのでした。

しかし、その上司は30年以上勤めていることもあり他職種からの信頼は厚く、実態を知っているのは部署内の私たち3人だけでした。上司には「若いうちに勉強するのが大事」と言われ続け、当時私も「期待に応えたい」という気持ちが強かったので、自分から先輩の仕事を「やりたいです」と引き受けるようになりました。

残業100時間を超えても「残業」と申請できるのは10時間

次第に残業時間が増えて定時17時のところ21時まで職場にいるようになりました。もちろんこの残業は「勉強のため」だから残業代は付きません。今振り返れば「ブラックだった」と気づけますが、その頃は「勉強のために残業させてもらっている感覚」だったんです。

入社して半年を過ぎた頃、家に帰るのは23時を超えていました。しかも、「早く寝なきゃ」と思っているのに寝つきが悪く、焦燥感でどんどん眠れなくなったんです。

また、悪夢を見がちになり眠れても午前3時には目が覚めるようになりました。そのため私は平日の残業時間を減らして休日に出勤するようになりました。その休日出勤ももちろん残業手当は出ませんでした。

眠れていない状況は先輩や上司にも話していましたが、上司は「私が若い頃は休日なんてなかった」という話をされるだけで業務量を見直すことはしてくれませんでした。

ただ「10時間くらいなら残業をつけてもいいよ」と言われたため、「ありがとうございます」と感謝していました。当時の残業時間は軽く80時間を超えていましたが、たとえ100時間を超えたとしても10時間しかつけることを許されなかったのです。

仕事と勉強の区別がない!?一人前になるまではボランティア

入社して9ヶ月後、先輩のひとりが妊娠し産休に入ることになりました。上司からは「早く一人前になれ」「独身だから今のうちに勉強しろ」と追い打ちをかけられました。

1年目は先輩や上司の話を疑う余裕がありませんでしたが、2年目になって業務量を見直すと、自分の業務量が部署内のどの人よりも多くしていることが発覚し、「もっと早くに気づいていれば良かった」と感じました。

独身は残業して当たり前。やらなければマタハラ扱い!?
私の部署は業務に関するマニュアルがなく、全て手探りでやっていく必要がありました。それも問題なのですが、何より職員の業務内容・業務量を明確に分けたり、業務量数値化して報告したりすることをやっていませんでした。だから上司が仕事をサボって寝ていても他部署の人は誰も知らなかったんです。

私は勇気を持って先輩に
・業務内容を明確にしてマニュアルを作ってはどうか
・部署内の職員の業務量を数値化し、改善や質の向上を目指したい
・十分な休憩時間が取れないことやサービス残業が多すぎる実態を上層部に報告し、職員を増やすよう働きかけたい

といったことを申し出ました。ですがその申し出は却下されてしまいました。しかも、却下されただけではなく、「あなたは子どもがいる私たちに不満があるのではないですか」と非難されてしまいました。

私はその発言を聞いて、言葉を失ってしまいました。そんな風に受け取られ、非難されるとは全くもって思っていなかったのです。

今考えると、先輩たちは育児を理由に休日出勤を断ったり、「残業できないから」と言って私に仕事を任せていましたので、負い目を感じていたのかもしれません。先輩たちからすると私の申し出は「子どもがいるという理由で仕事を任せないでほしい」といった文句に聞こえたのでしょうか。

それ以降私は「子育てをしている女性を配慮できない人」といったレッテルを貼られ、上司や先輩たちからの当たりが強くなっていきました。肩身が狭くなって、その部署で過ごすのがどんどんつらくなっていきました。

それでも仕事だけは大量にあり、23時まで残業するようになり、1月の残業時間は100時間を超えていました。

「患者さんのため」と言い聞かせて疲労の限界を超えてしまう

休日にも出勤していたので、当然友人や両親とも会っていませんでした。しかしそれがダメだったんだと思います。私は誰にも自分の置かれた状況を相談せず、ひとりで抱え込んでしまっていたんです。

私は先輩の発言を真に受けてしまい、「自分は子どもがいる人に対して配慮が足りない」「自分の業務スピードが遅いのが悪い」などと自分を責めるようになりました。職場に行くのは肉体的にも精神的にも辛かったのですが、それでも「患者さんのため」と自分を言い聞かせていました。

「何よりも自分の身体が一番大切」をはじめて実感
そんなある日、母親から「仕事が忙しそうだけど大丈夫なのか」という連絡が入りました。もうずっと連絡を取っていなかったので、久しぶりに母親と会って食事をすることにしました。私はこれまでの状況を母親に話しました。すると母親は「それはブラックだから辞めなさい。自分の身体が一番大切」ときっぱりと言ってくれました。そこで私は辞める決意をしました。

辞める決意をしてからも批判され続ける
私は上司と先輩に「辞めたい」と明確な意思を持って訴えました。すると「これまでの仕事はどうするのか」「誰に引き継ぐのか」などと責められ、「せっかく一人前にしたのに辞められると困る」と批判されました。

それを聞いて私は「自分は無責任なのかもしれない」とまた自分を責めてしまいました。でも、今度はすぐにそのことを母親や友人に相談しました。すると相談相手全員から「それがブラック企業なんだ」と諭されました。

そして、就業規則を確認するよう助言をもらい、部署内の上司ではなく総務課の管理職の方に「辞めたい」と自ら訴え、ようやく退職する手続きに入ることができました。

他部署の方から評価されていた私は、ありがたいことに「頑張ってくれていたのに残念」「寂しい」などと声を掛けてもらいました。また、退職の理由を素直に言うと、「気づけなくてごめんなさい。でもあなたなら何処でも上手くやっていける。正直に言うと、他の誰よりも仕事ができると感じていた」と言っていただきました。

そこで初めて「自分がやってきたことは誰かの役に立てていたのだ」と感じ、自分を責めることを止めることができました。また、「辞めたい」と言った自分を褒められるようになりました。

これが私の体験したブラック企業です。
本当にヤバイのは、ブラック企業を「ブラック企業」と気づけずに疲弊してしまうこと。私が「ブラック企業」と気づけたのは、母親や友人の助言のおかげです。

皆さんには健康を害する前に気づいてほしいです。ひとりで抱え込まずに誰かに相談する時間を作りましょうね。