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ブラック企業 体験談

【会社辞めたいエピソード13】平和な職場はイメージばかり!児童館職員としてのブラック体験談

[神奈川在住・39才・女 ペンネーム:理想は妄想]

私が体験したブラック企業は児童館です。

あれは10年前のことです。
結婚を機に短大卒業後から働いていた職場を退職し、しばらく専業主婦をしていた私が偶然見つけた求人で応募した児童館でのことでした。

もともと子供が好きだった私は結婚後、引っ越した家の近所に児童館があることは知っていて、「こんなに近くにあるなら募集があったら応募してみようかな?」と思っていたところだったんです。近所の子供たちは学校が終わるとみんなが利用していました。子供たちがたくさん利用するならきっと指導員の皆さんも優しい人たちなんだろうと私は勝手に想像していました。

子供が好きな人が子供たちの安全を見守る仕事。

私は指導員という仕事に勝手な理想を描いていたのです。そして、その児童館で求人が出たのです。私は迷わず応募しました。そして面接となりましたが今考えるとこの時点で気付くべきでした。

何かおかしいと。

面接時に

「役所の管轄での仕事になりますので採用の際には業務上不満などがあってもストライキや苦情などは一切しないという誓約書を交わします。」

との説明がありました。その説明を聞いた時には特に何も感じませんでしたが、私は無事に就職することが出来、児童館でも仕事もスタートしました。

ところが、規定では10時~17時の就業時間だったものが実際は、10時から開館するためその前に行って掃除などをしなくてはいけませんでした。簡単に終われるものではないので指導員たちは当たり前のように9時前後には出勤していました。そして終業も17時に児童館が閉館した後に業務日誌作成や館内の片付け、点検、翌日の準備などがありやはり18時前後(時には19時を超えることもありました)の終業が当たり前。

勤務日は前後計2時間は言ってみれば“タダ働き”だったのです(残業代は出ないのです)。それに慣れているベテラン指導員たちは特に愚痴を言うこともなくそのスタイルで過ごしていましたが、私は納得出来ませんでした。

ある日。
一緒になった指導員と勤務時間の話になり、私は思い切って就業時間に疑問があることを伝えたのです。その指導員はニコニコしながら私の話を聞いていましたが、今思い出すと“肯定”も“否定”もしていませんでした。

しばらくして役所の人から私に役所に来るようにと連絡が入りました。「私だけ、なんだろう?」と思いながらも指定された日時で役所を訪れると、
「勤務時間に不満があるそうですが、面接時にも伝えた通りストライキや苦情などは一切しない誓約を交わしましたよね。そういう不満を館内で話すことも困るんです。」
と言われたのです。そして次に勤務に行った際には、他の指導員たちが明らかに私を避けているのが分かりました。

勤務日はシフト制だったのですがそのシフトも私の希望は通らなくなり、時には7日連続勤務だったり、他の人がNGと入れた日に私もNGを出していても私の勤務日になっていたりと明らかに指導員たちからも嫌がらせを受けるようになりました。長く勤めていたいなら役所を敵に回す発言はしないというのが暗黙のルールだったようです。それを知らなかった私は、つい軽い気持ちで口にしてしまったことを後悔しましたがもう修正は不可能でした。

それからというもの、他の指導員とはかなり距離が出てしまい会話することもなくなっていきましたが、仕事のメインは子供たちの安全を見守ることだったので私は出来るだけ館内のホールで勤務時間を過ごし、いつしか指導員とはコミュニケーションを取らなくなりました。

役所の人も月に一度児童館を訪問する際には明らかに私のことは無視していました。他の指導員には、
「何か困っていることはありますか?」
「子供たちはルールを守って過ごしていますか?」
「先日の行事は子供たちはとても喜んでいましたね。皆さん、お疲れさまでした。」
など和気あいあいと会話をしている中、私には目も合わせません。そして他の指導員たちも同様でした。

いつしか私は、行事があればその準備をひとりでさせられたり、花粉症で喉をやられて声が出ない時に行事の司会をやらされたり、定期的に指導員が行かなければいけない研修も私ばかり行かされたりと他の指導員がやりたくないことばかりが私の仕事になっていきました。

そんな生活が2年半続いた時。私が辞めようと決意した事件が起きました。

いつものように勤務日に出勤をすると、その日一緒だった指導員がものすごい剣幕で怒鳴って来たのです。
「何が気に入らないのか知らないけど、みんなに私の悪口を触れ回ってるのはどうして!?あんたみたいな嘘つきとは今後仕事なんて一緒に出来ない!!」
私は何のことだかさっぱり分かりませんでした。どういうことかをその指導員に尋ねても、
「白々しい!」
の一点張りで教えてくれません。結局その日は、険悪な空気のまま仕事をしました。子供たちはこの異常な空気を敏感に感じ取っているのが分かったので、私は子供たちが居る間だけでもその指導員と会話をしようと試みましたが、その指導員は相当腹が立っていたようで子供たちさえ見えなくなっていたのです。

次に別の指導員との勤務の時もやはり、私がその指導員の悪口を他の指導員に言いふらしていることになっていてその指導員にも注意を受けました。他の指導員も同様でした。つまり私は全指導員の悪口をみんなに言いふらしているということになっていたのです。その話は役所の児童館担当にも伝わり、私は再び役所に呼び出されました。そして、

「もういい加減にしてください。これでは面接時の誓約違反です。人の悪口を広げているヒマがあったら勤務に集中してください。」
と言われたのです。私は何もしていないと説明しても信じてもらえず、です。

この事件が起きた頃には精神的にも疲れ切っていて、誰にも相談できない職場が文字通り“ブラック”に見えたものです。ことの発端は私が放った小さな愚痴でしたが、たった一度の愚痴がいつまでも消えず、まるで役所全体で私を排除するために動いているかのように感じました。

それまで私は「役所は地方公務員。とても安定している職場だし福利厚生、職員指導、研修などがしっかりしている所」という印象がありました。働くにはとても理想的な職場だと信じて疑いませんでした。

でも実際は、ちょっとでも役所に対しての攻撃分子を持った者はその攻撃分子が拡大しないように全力でつぶそうとする団体だったのです。私の理想は妄想だったということに気付いた時点で、退職を申し出ました。役所側は二つ返事でした。

退職した私はしばらく人と会うのが怖くなり家に引きこもるようになりました。買い物に行き、偶然あの児童館の指導員に会うこともありましたが、声を掛けられるだけで身体が震えてきてしまい声を返すことも出来ませんでした。その場を逃げるように後にするという日々が続きました。

あれから10年経った今は、役所も子供も関係ない仕事に転職しました。人とコミュニケーションを取らなくてはいけない職場ではなく裏方の職場ではありますが、とても充実した毎日を過ごしています。それでもまだあの当時を思い出すと苦しくなります。きっと今はもうあの当時居た職員はほとんど居ないかもしれません。近所の児童館には当時居た指導員は全員居ないそうです。それでも児童館の前を通るたびに心臓がバクバクと乱れています。おそらくこれはまだまだこの先も続く症状のような気がします。

全員が敵!

そんな職場は、負の気持ちしか生まないことにいつか気付き、逃げ道のない職場がこの先なくなってくれたらなと、これまた「あなたの理想は妄想だ」と言われそうなことをつい思ってしまう私は学習能力に欠けているのかもしれません。同じことを繰り返さないために、転職する際には企業からの質問や言葉、すべてを「これはどういう意図があるのだろう?」と疑い、考え、答える技が身についたことだけは感謝しています。あの職場に行かなければ今でも人を疑わないまま生きていたかもしれませんから。