兵庫県在住、48才、男性、HitMintです。
世間一般で精神科病院と言うと、近年でこそ理解が進んで昔ほど悪いイメージはありませんが、それでもネガティヴなイメージが少しでもつきまとうのではないでしょうか。
精神科を取り巻く環境も年々進んで変化しており、それが良い方向と悪い方向へと進んでいるような気がします。
そんな精神科病院で働いてみた場合の労働環境や職員への負担、そしてやり甲斐や待遇など、実体験をもとにしたお話をさせていただこうと思います。
精神科ファーストインプレッション
就職氷河期が訪れて当時何も職に就けなく困窮していたところに、親が看護師として再就職する際、一緒に就職しないかと誘われ、何の病院かもわからず「働かせて貰える上に学校まで行かせてくれて、さらに資格まで取れるなんて最高!」と喜んでついて行ったのがきっかけでした。
つまり精神科を目指しての就職活動ではなく、精神科であるということを知ったのも面接当日になってからでした。
自宅からかなり離れた距離にある病院だったので寮を親子で借りたのですが、病院の敷地内にあるため、すぐ隣は入院病棟の建物。初出勤前日に入寮すると、真夜中に響き渡るリアル過ぎる叫び声、なんとも言えない暗い闇に佇む夜の病院。
怖いのと不安で押しつぶされそうでほとんど眠れませんでした。
実際に出勤してみると、案の定新しい職員は物珍しいのか、入院中の患者たちがたくさん寄ってきます。
背が低くて痩せ型で色の黒い顔貌が明らかに崩れた初老の男性患者から「誰やお前!?誰やお前!?」と詰め寄られ、まさしく地獄の亡者みたいな印象でした。
やはり精神科とは世間で想像される通り怖いところだったのか。
知らずに入ったとはいえ、そう長くは続かないだろうと思ったのですが、実はそんなことはありません。
彼らは見た目や言動が明らかに世間一般の人たちと比べて逸脱しているところもあるでしょうが、ほとんどは他人に無害で、ちょっと不器用なだけです。
実際に関わってみると面白い話もしますし笑いもします。
時にはその難しい病気のせいか自身を傷つけてしまいそうになったりするのが見ていて辛く、共に話し合って解決方法を模索したりすることもありました。
当時はまだ精神科での治療に対していろんな事で取り組んでいたため、作業療法がとても楽しかったです。
患者さんと一緒に楽器を演奏したり、凧を作って飛ばして隣の林に墜落して笑いながら一緒に捜索へ行ったり。
特に何の特技も資格も学歴も持っていない自分にとって、患者さんと一緒に楽しむという行為自体が仕事に繋がるということに大きな魅力を見出したのでした。
資格を取ってからの精神科
なんとか無事に働きながら看護学校を卒業して准看護師の資格を取得してからは、自宅近くの精神科病院へ転職しました。
野山など人里からやや離れた場所にあることが多い精神科では珍しく街中にある病院でした。
そのせいか入院しているのも症状の落ち着いた慢性期患者は当然一定数いましたが、急性期症状の患者が多かった印象です。
ただ、当時の急性期症状は、暴れまわって完全に冷静さを失った状態で、警察に連行されてとか、何でも屋に簀巻きにされて運び込まれるような人で、オムツを着けられベッドに身体を拘束されて精神薬と点滴で一週間ほど眠ってもらい、起きたら「あの時はご迷惑をおかけしました。ありがとうございます。」と、穏やかな人柄に戻っていることも多く、初動は大変でしたが後の軽快具合や感謝の意に対してやり甲斐を感じる日々でした。
精神科の変化
ところがです。
社会や国の方針や施策も変わり、その波は精神科に大きく押し寄せてきます。
精神科患者に対しての人権が尊重され、それまで患者自身が生活訓練としてゴミ出しや洗い物など身の回りの世話や手伝いを行っていたのが、処遇改善という名のもとに完全撤廃されます。
それまで人権を無視していたと外部の人からは受け取られてしまうかもしれませんが、自分の身の回りのことを自分で行い、他人の手伝いを自発的に行い、必要な習慣がつくことで退院後の生活にも良い影響はあったと思います。
さらに国が医療費を渋り始めて、コストの取れないことがどんどん増えてきました。
もちろん病院側もお金にならないことはしたくないので、イベントは減っていき、患者の入院生活はどんどん何もないフラットなものになっていきます。
患者の流れもどんどん変化して、言動に問題があったとしても疾患のせいなのか、それとも本来の性格由来なのかが非常に判別しづらくなってきました。
正直どう対応して良いかわからず、主治医も適当な薬剤を処方するのみで患者がどんな問題行動を起こしても「様子観察で。」の一言で終わってしまいます。
精神科医自体も昔と違って、自分の担当する患者に対して関心が薄れているような印象を持ちます。
結果として精神科病院に入院しても、世間から隔離しただけで積極的な治療は行われず、入院治療している患者自身にも特に目的や問題の意識もなく、何をやっても怒られることはないのでやりたい放題のわがまま言いたい放題。
そして急性期の加算が外れる入院3ヶ月後は、どんな状態であってもコストが取れないという理由で退院させられるか慢性期病棟へと送り出される。
いったい何のための精神科病院なのだろうという思いが日に日に強まっていきました。
とある精神科病院対抗のバレーボール大会というのがあり、実行員として勤務していた病院からは職員だけが数名参加しました。
ところが開幕してみると、他の病院は職員と患者が同じ揃いのユニフォームを着て声を掛け合いながらチームワークも見事にバレーボールをしています。
あんなヒョロっとした初老の患者さんでもあれだけ激しく動けるのか・・と驚きを隠せませんでした。
対して自分の病院ときたら・・・という思いでいっぱいでした。
そして退職へ
業務内容に対して日毎にやり甲斐を感じられなくなってしまいました。
入院や加療を進めていても少しも良くならない患者に対して負担ばかりが増える日々。
真剣に考えれば考えるほど暗黒面に堕ちます。
ちょうどミッドライフクライシスの時期で、「たしかにずっとこの職場にいれば定年までは安定した生活ができるだろう。だけど、こんな気持で稼いだ金で子供たちを育てて良いのだろうか。」そう自問を繰り返す毎日でした。
さらに夜勤での身体的負担は凄まじく、自分の加齢に伴ってダメージは増加する一方。
命を削って夜勤手当をもらっている自覚が拭えませんでした。
待遇面に於いても休みは多いものの、最初から給料が人並みにあるのに喜んだ後はほとんど昇給しないのです。
ボーナスも減りました。
入職当時は毎年海外へも行けた職員旅行や豪華な忘年会も、廃止しないと銀行が融資をしてくれないという理由でなくなりました。
だから若い職員が入ってきても、多少収入が減ってでも将来性のある他の病院へすぐに移ってしまいます。
職員間のモチベーションも「給料は普通にあって休みが多く、業務内容を割り切ってやれば良い職場じゃないか。」という意見が大多数でした。
さらに追い打ちをかけるように転属された先には性格がどんでもなく悪い看護師長がいて、部下のことを自分の功績を作るための駒としか思っていません。
下からの不満が出ていることは上も重々承知なのに何も対処しようとはしない。
夜勤をはじめ入浴介助や排泄介助などは心身ともに厳しいものとなりますが、結局精神的な負担から体調を崩し、この職場に明るい未来を見いだせず転職活動に至るのです。
まとめ
世間で言うブラック企業よりもかなり生易しい印象を受けるでしょう。
実際かなりぬるいところばかりです。
サービス残業もなく、ほぼ毎日定時で帰宅できます。
働いている看護師で性格のきつい人も何人かいますが、男性に対しては滅多に矛先も向けられません。
逆に仕事が少しでもできない女性は情け容赦無く攻撃対象となります。
ある程度の妥協があれば定年まで続けていくこともできるでしょう。
真面目に取り組めば、まだまだ解っていない事だらけの分野なので非常に奥深い医療分野とも言えます。
精神科とは熱心に関わるか、それとも割り切るか、そのどちらかが必要であると感じました。
自分のように中途半端な者では続けていけそうにありませんでした。
ただ、今でも時々戻りたくなることがあるのです。
あの独特な世界へ。